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科学大国ニッポン

2005年05月03日(火) コメント:0 トラックバック:0

科学常識このぐらいは??目安作り、文科省乗り出す(Yomiuri Online 2005/05/01)
日本の大人には最低これぐらいの科学常識が必要??文部科学省が、そんな「目安」作りに乗り出す。子供の理科離れが問題になっているが、同省は「大人も科学を勉強していない」と指摘、科学者や教育関係者が今後、数年かけて検討し、望ましい「基礎的素養」を示すことになりそうだ。
第3期科学技術基本計画の重要政策(中間とりまとめ)(文部科学省)



Yomiuri Onlineの記事中に紹介された【科学常識チェック】とやらをやってみた。
一応全問正解。まだボケてはいないらしい。ホッ。

ここで少し前に読んだブログを思い出した。少し引用してみる。
0年前。60~70年あたりである。子供の頃に見ていたテレビはというと、マジンガーZとかバビル2世。あるいはウルトラマンにキカイダーに仮面ライダー!学研の科学と学習を読んで大きくなって、夏休みにはガメラとかゴジラを映画館へ見に行く。アポロが月に行って、大阪万博があって、子供向けのSFシリーズが何種類も転がっていた。デパートでは昆虫標本用のキットが売られていて、注射器と何やらよくわからない赤と青のボトルに入った防腐剤が入っていたし、お金持ちなら顕微鏡や望遠鏡が買ってもらえた。ちょっと大きくなった頃にはNHKの少年ドラマシリーズを見て、宇宙戦艦ヤマトが流行って、日本沈没が売れていた。


 ・・・・・。

 これで、理系にならなきゃ嘘じゃん!(hylaの日記ーー■理科離れ
すまぬ。私は理系にはならなかったのだけれど、それでも時代の雰囲気は科学技術万
歳だったから、理系には憧れたし(湯川秀樹が私の中学時代のアイドルだった。)、文系のくせに生物ではなく物理を選択し、数学IIと物理だけで進める理系って「あるじゃんお茶の物理!」みたいなことを一瞬でも考えたりした(一瞬であり、大学には英語と小論文だけ使って入学した)。訳あって『科学』はとってもらえなかったのだが、蟻の観キットやら何やら皆が持っているのはとても羨ましかったし、読んでいた『小学○年生』やマンガ雑誌にだって、常に「21世紀はこうなる!」と題された想像図が掲載されていて、大抵は空中を乗り物が飛んでいたものだ。
しかし科学技術はおめでたいだけじゃないゾというメッセージもしっかり受けており、愛読していた『宝島』で「原子力発電所の周辺のムラサキツユクサは異常な形状をしている」などという記事を読んだ記憶がある。原発についての記述を最初に読んだ記憶である。(この頃か<植草らカリスマたちは編集部を去った。そして謎のヒッピー集団たちがぞろぞろと…))この雑誌を始めいわゆるサブカル文化にはかなり影響を受けた。そう、あの頃は「リサイクル」はサブカル文化の中でしか聞けなかったキーワードであり、今のような「ゴミの分別収集」が当たり前になる時代が来ることに理想を胸に描く子どもの私は絶望していた(少しコトバが大袈裟か)。ともかく、そんな時代だった。

そういえば、NHK少年テレビドラマシリーズの第1作『タイム・トラベラー』(原作は筒井康隆の『時をかける少女』を,私はとても熱心に観ていたのだが(オープニングのシーンが大好きだった)、その中の1シーンが思い起こされる。
いい大人がうなされている。怪獣に街が破壊される!そのときの解説は、「怪獣もののテレビを幼少時に観て育った成人であり、その幼児体験が刷り込まれている」というものだった。未来人が言ったのだったか。そのシーンはとても印象深く残っている。「あ~、私も大人になって、そういう夢を見るのかしらん」などと思いながら。

大人になった今、夢にも怪獣に街を破壊されたりするシーンは思い浮かばない。破壊するのは、科学技術を誤って使う人類だ。科学技術の恩恵を受けて育った私は、科学技術そのものを否定する根拠を持たない。求められるのは、それを充分に使いこなすことのできるモラルだと思いながら思春期以降を過ごし、今もそう思っている。そしてそのモラルを育てるのに、蒙昧ではならぬだろうということも感じる。人文科学であれ社会科学であれ自然科学であれ、判断にはそれなりの知識と手法が必要であり、社会のそれを支えるのは基本的な常識レベルの知識である(ぅーん、この文章、成り立っているのだろうか?)

初等教育の段階で、良質の知識を「刷り込まれ」ることに賛成なのもそういう理屈だ。家庭でも同様。「知識偏重」が忌み嫌われた結果か、「知識」やそれをもつ人への尊敬の念が失われていることはとても残念だ。「知識」にも「経験」にも敬意を払わない社会の行き着く先は迷走でしかない。

話が随分飛んでしまった。つまりは「何にでも興味関心を持つチャンネル」を開こう、という話。子どもにたいしては、大人は機会を与えそれを育てる義務があるという話だ。いやだって、知識を得ることは面白いし、現象に潜む命題を見つけ解くことは更に面白いんだもの。文科省の何たらかんたらの胡散臭さはそれとして、その面白さを知らないのは残念だし、伝えないのはエゴだろう。

長々とした文章を読んでくださった方に感謝。


#841
カテゴリ:010 ニュース・社会

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