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sugar pot : 小学校で英語教育?

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小学校で英語教育?

2006年10月03日(火) コメント:1 トラックバック:0

以前、「初等教育に、IT教育は必要か?」という記事を書きました。私は「不要。初等教育では土壌を豊かにするために、PCの操作よりを覚えさせるよりも鉛筆をつかって文字を書き、言葉を選ぶことを覚えるほうにもっと時間を費やしてほしい」と書きました。

英語教育も、これに通じるものがあるように思います。今さらながら、実感を交えて。


たまたま、先行で英語教育を行っている小学校の複数の教師に話を聞く機会がありました。授業は新しく配置されたネイティブスピーカーまたは英語専任の教師と学級担任の2人がかりで「英語って楽しいなと思わせることを目的に」行っているとのことでした。

実際に行われている授業は、歌を歌ったり、クロスワードパズルをやったり、ゲームをやったりといった風。私たち「旧世代」にもおなじみの、「How are you?」「Fine,thank you.And you?」「I'm fine.Thank you.」というようなスキットを行ったりもするそうです。

ところが、その学級担任の教師たちの言うには、これらの授業を行うのに、「とにかく何とかもうひとりの(英語専任の)先生の足を引っ張らないようにやっています」とのこと。複数から聞かれたので、その教師個人の問題ではなさそうですし、必要以上にへりくだって言っているという風にも聞こえませんでした。

私には、少し驚く内容でした。不勉強な私には、「英語って楽しいなと思わせる授業」の教材研究が、そんなに難しいものというのは、想像がつきません。「どこが難しいの?」と突っ込んで尋ねることができる場所ではなかったので、肝心の部分を聞くことはできませんでした。けれども、現場の教師に戸惑いと負担感を与えていることは十分伝わってきました。「校長先生が(先行実施を)引き受けてきてしまって……」というようなニュアンスの発言もありました。

一方、小学生たちに話を聞くと「楽しいよ」「面白い」「授業が楽しみ」という子どもが居る反面、教師たちの努力もむなしく「そんなに面白くない」「英語なんて嫌い」「英語の時間は早く終わらないかなって思ってる」と既に英語アレルギーを示す子どもも居て、初等教育で英語を行う目的は何なのか考えさせられてしまいます。

たしかに、かつての「中学高校と6年間英語を勉強したのに、論文のひとつも読み書きできない、気の利いた会話のひとつもできない者が多く居る」という状態への反省と、世界公用語のひとつであり、同盟国アメリカの言語である英語の重要性を鑑みてのことでしょうが、果たして、こんな状況で大丈夫かと心配になりました。

「旧世代」である私の時代とは違って、今は英語に馴染む機会がたくさんあります。敢えて、学校で、大事なはずのほかの課程の時間を割いて、英語に親しませる必要があるのでしょうか。それよりも、「相手の話を聞く」「自分の意見をまとめることができる」「それを相手に伝えることができる」といったことにもっと時間をさいてほしいと思います。それは、「語ろうとしても語るべきことがうまくまとまらず、トレーニングをしっかり積んだ外国の人に問われてしどろもどろになってしまった」自分の苦い体験からです。そうしたことが英語のほうがトレーニングしやすいというのであれば、それはそれでまたひとつの方法かもしれませんが、日本語(小学校に通う子どもたちの多くにとっての母国語)でできるに越したことはありません。

あまり豊かでない土地を、失礼ながらにわか仕立てのよくきたえらえていない鍬で耕しても、良い実りは期待できません。子どもを豊かでない土地と例えるのは抵抗がありますが、やはり、ready to、受け入れる土壌ができていないと、いたずらに化学肥料を与えたり手を加えても、無理が生じるように思えます。

そうそう、テレビで「小さい頃から英語を習っていると発音がきれい」「rとlの区別などは大きくなってからでは習得するのが難しくなる」と数名のコメンテイターが口々に言っていました。けれど、これも自分の体験から言わせていただくと、中学から英語を学習した私の発音はそれなりに良く、またこなれているらしく、よく「留学したことがあるの?」と尋ねられますが、実態は、「音読が得意」なだけで、残念ながら、「自由に自分の意見を英語で語る」ことにかんしては、落第です。発音だけ得意というのはナカミがなさそうでなんだか情けないです。きれいな発音よりも、伝わるコトバ、伝わるナカミが大事だと、常日頃よりつくづく感じているのです。

#626
カテゴリ:101 インターネット(www)

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コメント(-1件)

出人:ちょっと危機的。

高校の未履修が問題になってますが、大学も教養科目を廃止というか、精選してるんじゃないでしょうか? 違法じゃないんでしょうけど。
早い話が、粗製濫造、早かろう悪かろう、軽薄短小な、エセ専門バカ(「専門バカ」というほど専門性が高くもない。ただし専門のことしかわからないという点は一緒)を作ろうとしているわけですね。エセ・スペシャリストといってあげたほうがいいか。もっとも、これだけ科学なり、技術なりが発展してくると、教養までやっていてはとても4年間では足りないというのが、大学側の現実なのかもしれません(現実には、「国公立大学」でも高校の授業内容の補習をしてるところもありますよね)。
もう、「入試科目しか勉強しない」という人が大学生になっていて、そういうレベルの人が、社会に出て、提案し、活動するようになってきているのです。学校に関わらず、世の中がそうなっているのでしょう。
ここにきて、「成果主義」みたいのがあらわれて、いっそう拍車をかけてる感じです。「目に見える成果を残すことことが必要で、目に見えない成果なんてのはない」と。今さら言うまでもないのですが、「教育とは受験対策ではない」「高校とは予備校ではない」と言ったって通用しません。もう現実公立高校でさえ、「やったもの勝ち」「正直ものはバカを見る」「うまく偽装する者、抜け道を探す者こそ勝利者である」かのようになっていたわけです。今回の未履修問題がそれを示している。
高校だけの問題じゃないというか、学校だけの問題じゃないとというか、教育だけの問題じゃないというか、「高校までもがそうなってしまったという問題」だと思います。

  • 2006年11月06日(月)10:07:18
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