共有テンプレートを殺すのは誰か・2
(前項より続く)
そもそも、なぜ、「共有」テンプレートなのでしょうか。
以前にも書きましたが、共有テンプレート制度は、同じFC2ブログのユーザが、ほかのユーザにたいして、作成したテンプレートのソースを「一緒に使いましょう」と提供できるシステムです。
作り手であるユーザは、なぜ、無償で、自分の時間と手間を割いたテンプレートを送り出すのでしょうか。
共有テンプレートに登録するのには、さまざまな動機があるでしょうが、その中には「自分の作品を発表できる喜び」「使ってもらえる喜び」があると推察します。そして、作り手がなにより嬉しいのは、フィードバックだと思います。
「とてもステキです」「役立ちます」といったコメントから、「ここはもう少しこうの方が良いです」といったコメントまで、何らかのリアクション=コミュニケーションがはかれてこそ、共有テンプレートを提示しつづけるモチベーションを維持できるのではないでしょうか。
このことは、共有テンプレートに限りません。すべての、「ものをひとの目に触れるところに送り出す」という行為に通じることです。ブログで記事を書いて公開しているかたはもちろん、ウェブ(インターネット)に限らず、何らかのかたちで発言しているかた、自分のつくったものを発表しているかた=「情報、作品の送り手」には理解していただけるでしょう。コメントやトラックバックがついたときの、あの気持ちを思い出してください。
「ブログへのアクセス」イコール「広告の表示」であり、共有テンプレートの登録はそのためと思えるような、広告のみ記事なしのブログも中にはありますが、そういったブログの運営者でさえ、「フィードバック」は嬉しいと感じている送り手は居ると、私は思います。「反応がある」というのは、嬉しいものです。
けれど、「フィードバック」の内容は、送り手を喜ばせるものばかりではありません。そして、反応があったことへの喜びはさておき、その内容をどこまで喜べるかの範囲(受容範囲)は、送り手によって異なります。
先に述べた、「ここはもう少しこうの方が良い」といった「フィードバック」などは、送り手によっては自分の作品をけなされたと感じ、別の送り手にとっては「よりよい次の作品への貴重な情報」として受け取られます。
ものを公けにすれば、「賛同」ばかりではなく「批判」もあります。自らの無知をさらして、恥をかくこともあるかもしれません。私は、そういうことはあらかじめ想定し、甘んじて受ける「覚悟」が必要だと思っています。けれど、どの送り手にとっても、受容しがたいものがあります。それは、送り手に戻ってきても何の足しにもならない、いや、明日の心や技量の糧になるどころか、過去の心をも打ち砕く、心ないフィードバックです。
一握りのひとたちの「ソースを拝借し、そのソースは『公式テンプレートのものである』と詐称する」といった行為や、前項で書いたような「あなたは作り手であるからサポートして当たり前」といった態度は、送り手から喜びをもぎ取り、怒らせ、哀しませ、落胆させるでしょう。ものを公けにする際には、そうしたマイナスのことすらも想定せねばならない訳ですが、それが執拗に繰り返されたら、どうでしょうか(その人にとっては一度でも、人数が多くなれば受けるほうには結果的にはそうなります)。自分に置き換えて考えれば、送り手は、送り出すことをやめることを考えるかもしれない、と想像するのは簡単なことです。
さらに次項に続く
↑続きはもう少し先にまとめます。(2006/09/04)
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こんにちは
一昨日はすみませんでした。6月22日にトラックバックをしていただいてたのを、一昨日発見して承認させて頂きました。管理画面のトラックバックと言うところを見ていなかったので今まで気がつかなかったのです。本当にすみません!
ブログの特長ははトラックバックが出来ることですよね。
うちのブログのようだとHPにしたほうがいいのかな・・と思ってFC2のHPを借りました。でも全然やり方がわからなくてやめました。めんどくさいのでこのまま行きます。
本当に私のような後ろ向きでもインターネットが出来るなんていい世の中だと思います〜〜(*^ ー^*)2000円のパソコンなのでつぶれたら終わりですが(笑)