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sugar pot : 起きていること起こしてしまったこと

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起きていること起こしてしまったこと

2006年06月01日(木) コメント:0 トラックバック:0

ポエツ|poetsで読んだ話。

小学校の頃、理科の実験でプレパラートを割ってしまった。先生に「プレパラートが割れてしまいました」と報告すると「『割ってしまいました』と言い直しなさい」と言われました。確かに。言葉ひとつとは言え、これらは精神構造にも深く絡んでくるのだと思う。

ポエツ|poets:【etc】


日本語は主語を不要とすることが多い言語ですが、主語がなくても「主体」を意識させる表現があります。それが「割ってしまいました」という表現だと思うのですが、こうした表現を口にさせることで、起こった現象の起因を自覚させ、反省を促す。教育的だと感じました。

これはこの教師の手法というのではなく、通常は主語はなくて良いけれど、肝心のときにはしっかりと主体を意識するというのが、従前の日本人の言葉のつかいかただったように思います。

ところが、今は妙ちきりんな自己の客体化が進んでいるように感じます。「~~って感じ?」のような、語尾も断定でなければ、イントネーションも疑問型と同じ上がり調子という言いかたは、もう目新しくもなくなってしまいました。「プレパラートが割れてしまいました」どころか、自分が空腹であることすら「腹減った~って感じ?」と表現されてしまいます。

「客体化」じゃないですね、「主体」を認識した上での「客体」だから。分かってはいるのだけれど、それを断定しない物言い。「断定すること」によって生じる責任を曖昧にしているんですね。

さらに、言葉遣いにTPOがあるということも忘れられがちになり、友だち同士だけでなく、教室や職場でもそうした言葉が当たり前につかわれています。日本語という言葉の現状において、ますます「主体」を意識するのは難しくなっています。

勿論「お腹がすいた」という表現も知っていて、多くのひとはちゃんと「お腹がすいた」と言えると思いますが、プレパラートが割れたときに「プレパラートを割ってしまいました」と表現できるひとは少ないと思われますし、それを「割ってしまいました」と言えるようにする指導・誘導できる教師や親や目上の人物も、減ってきているのではないかと思います。

さて、私自身もそうですが、そういう言語環境の中にどっぷり浸かっていると、意識しようとしまいと、起こった現象はすべて「誰かのせい」のように感じられてしまいます。また、自分の非を認めるとそれが非常に不利益であるかのような風潮があるように感じます。

が、この世に産まれてきたことや、心臓が動いていること、おてんとうさまが空にあり続けること、などは「私」がどうしようとしても動かせることではありませんが、今発言してしまったこと、行動してしまったこと、は「私」がしていることなのです。

先日、「品性」という言葉をつかいましたが、「私」という主体を意識できるかどうかで、人間としての品格が決まってくるように思います。私は、品格を備えた人間になりたいです。

#575
カテゴリ:101 インターネット(www)

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