2005年11月01日(火) コメント:18 トラックバック:3
面白い数字を目にした。dh's memoranda「ブロガーの平均寿命」によれば、ping.bloggers.jpのログの集計結果から算出したブログの平均寿命は38.2日。 ただし、現在存在するブログはすべてその日までが寿命との計算なので、実際にはこれよりは長い。そのほか、以下のような数字がある。
- 平均投稿間隔:3.6日
- 三日坊主率:47%
- 寿命が60日を超えたブログ:25%
平均寿命が短く、三日坊主率が高いのには驚いた。 私の目にするブログの多くは三日坊主どころか、もう10年も前からブログをやっていたような顔をして、そして、10年後も変わらぬ姿であるかのような表情で、更新が続いている。残りの25%に入るものなのだろう。
が、考えてみれば、万人がみなブロガーになるほどネタが転がっているはずもなく。たとえそれが日記であったとしても、いや、日記というものに三日坊主はつきものであるし、 三日坊主率が47%というのも妥当な数字なのだろうと納得するに至った。
ブログとは、WEBページとは、更新とは、何なんでしょうか。ツール、視点・思考、能力。書きたい時に書きたいことを書きたいように書く。これは難しいことです。(春木屋「深く考えてないけどね」)
ブログが続かない理由は、やはり「取り立てて書くことがない」というものだろう。ひとは呼吸をしないと生きていけないが、呼吸と同等に文章を書くことを必要とするひとはそう多くはない。ブログをやると決めたから書く、という場合、更新しないのに慣れてくると今日も日が暮れる、更新できないなぁ、まぁいいや、別にブログを書かなくてもどうってことないや、になってしまう。
更新とは習慣であり(義務や目標になるとつまらない)、ブログを続ける秘訣は毎日更新というペースをつくることだという思いが最近強くなっている。ブログは書かなくてはならないものではない。更新しなくてはならないものでもない。ただ、惰性のように更新するのではなく、まさに呼吸をするかのごとく、食べ物を口に運ぶかのごとく、当たり前のように言葉が紡げたら、それはそれでひとつの世界なのだ。
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- カテゴリ:102 ブログ、といふもの
コメント(18件)
最近エントリがつらくなってきたので
(ネタはありますが、まとめるのにリサーチや検証が必要だったりで)
感じるのですが、htmlファイルつくってアップしているサイトのほうは、
月に1回更新してれば上出来でした。
取材なり、作品作りといったコンテンツ作り自体時間がかかりますし、
それを見せるフォーマットからデザインする必要もあったり。
そのくせ、たとえばsugarさんのブログなんかが、数日エントリがなかったりすると、
「更新滞ってるなあ」なんて感じてしまったり、
自分のところも数日放置しておくとサボっているような罪悪感をひそかに覚え…
そういえば「しばらく更新休みます」的なお知らせも多く目にします。
やっぱり無断で休むと良くないんですかね。
自分も更新を休止するときにはお知らせしてしまいそうですけど。
一種の病気(ブログ病)でしょうか?
更新を追い立てられない、「スローライフ、スローブログ」を目指したいです。
隔週くらいで…(決してサボる口実じゃなく…)
分かりやすい期間だからです。日記なら毎日書くわけだし、ご自身のブログを日記と位置づけているかたなら、そのままです。
ただ「サイトの更新」ということで考えると、毎日更新というのはかつてから考えると極めて異常ですよね。とくに情緒的なものではない、まとまった考えをアップするには、非常にハードなことです。ひとはブログだけをやっているわけではないのだし。
自分がやりやすいペースというのはひとそれぞれだし、1日ではなく一週間、一ヶ月、ということもあるでしょうね。ただ、何か期間があったほうが続けやすい(更新しなくていいやになりにくい)ということだと思います。遅筆の作家には強面の?編集者がついているでしょうが、ブログの運営者に編集者がついているというのは極めてまれなこと。結局自己管理になりますから。
結局、「気が向いたとき更新」だといつの間にか廃れやすい、という、まぁ、昔からあることですよね。
私の場合「お休みします」は多分書きません。宣言しといて書くなんてことがままありそうだし、「復帰しました」ってのも何だし。結果的にお休み、結果的に復活、つまり不定期更新よ、としておいたほうが楽という選択です。
そもそも、一日に4個も5個もエントリしたり、かと思うと放置(ここを始めて暫くは開けても1,2日ですが、先日はコメントはしながらもエントリは一週間放置)と、きわめて気まぐれなブログですし(^^;
従来のウェブサイトの場合、宣言しないと何度も見にきてくれたりして申し訳ないというのもあったけれど(それにしたって復活を知るには見なければならないわけですが)、ブログの場合RSS配信しているので、お知らせの必要度は限りなく低い。なのに「お休みします」って、あれ、やっぱり、つい、書きたくなっちゃうものなんでしょうか。自分に語りかけてるのかな?
こんばんは。
基本的にはエンターテイメント系の読み物が好きで、自分でも書きたいと思ってます(なかなか実現しません)そういう分野以外のサイトでも、読んでみて得るもの、感じるものがある文章には共通する点があると思います。
音楽が趣味の人はレビューや曲紹介などがうまいし、ギャンブラーの語る攻略法は熱さを感じます。書き手が楽しんで書いているブログは強いし長続きしそうですよね。
ブログを続ける秘訣は、ブログ以外の趣味に打ち込むことなのでしょう。
自分けっこう無趣味なんです(-。-)ボソ
はじめまして。今回の記事、興味深く読ませていただきました。
自分もブログを始めて半年。そのあいだ、ほぼ毎日更新してきました。「日数=エントリー数」といった感じです。かなりバカねたが多いですけどね。(笑)
自分の場合、ブログを続けられるのは、比較的時間の制約がない生活と、単に書くことが好き、という理由があげられそうです。特にネタがなくても、つれづれなるままに書き連ねるのは、自分のなかのカタルシスとなっているのです。
軽い、というか内容のないブログが多いなかで、sugar potさんのような内容のあるブログの存在はうれしかったりもします。これからも見にきます。
sugさん、
おっしゃる通りでございます。
ブログに明け暮れている毎日ではネタ切れになるのも無理ないですね?(笑)まぁ、それも突き詰めればひとつの趣味ですが。
まぁ、「書き手が楽しむ」これは大前提でしょうね。
ところでsugさんは多趣味だと思ってるんですが……
おまんまのネタにもならないブログの文章をなぜ書き続けるかというひとつにこの「カタルシス」がありますよね。くだらないことを書いていると「チラシの裏にでも書いとけ」と言われたりしますが、チラシの裏にはない自分への効果は明らかにありますね。
書くということ自体、自分の心の中の漠然としたものを言語化することで整理できるわけですが、それにより得られるカタルシス、そして、チラシの裏ではない、ネットにアップする(「誰か」の目に触れる可能性を持たせる)ことで得られるカタルシスもあるのでしょう。
ただ、カタルシスは結果でしょう。それを目的にしていると酷い目に遭うかもしれません。やはり「人の目に触れる」ことを前提に、読む対象を念頭に置くのがウェブサイトでしょう。「自己満足」を晒して賞讃が受けられるのは、コンテンツが余程素晴らしい天才くらいなもの。いや、「人の目に触れることを前提につくったウェブサイト」だって、その行為すら「自己満足」と片付けられてしまうかもしれないのですが……。
ところでとーるさんのブログ拝見しました。特にネタがないわけではなく、日々の暮らしの中であれこれネタを見つけて書かれておられるご様子。やはり、一般的には、「ブログの充実」=「日々の充実」だと思わされました。特に日記系は、これにつきるでしょうね。
sugarさんのご意見、もっともだと思います。「カタルシスは結果であって、それを目的としているとひどい目にあう。常に人の目に触れることを意識すること。」どれも身につまされる言葉です。
自分も記事をアップしたあと、「あんなこと書かなきゃよかった・・」と後悔することもままあります。前より減ってはきましたが。つまり、それが「人目を気にせず、言いたいことをただ言ってしまった」ということなのでしょうけど。日々修練です。
自分のブログも見ていただいて、ありがとうございました。自分のはあんなバカ日記ですが、「ブログの充実」=「日々の充実」という言葉を胸に、これからも書いていきたいと思ってます。
とーるさん、「あんなこと書かなきゃよかった・・」なんてのは私だってしょっちゅうです。おっちょこちょいでお調子者なので。
ただ、やはり「書くこと」というのは「自分を晒すこと」だと承知しておかないとなりません。無自覚に晒していると、いつか怖い「晒し」に遭って、晒されたくないことも晒されるかもしれないです。そういう事例を、ここ数ヶ月の間にもいくつも見てしまいました。「人の目に触れている」という認識は、いついかなるときも忘れてはならないことだと、自戒も込めて。
自分の場合は週2~3件位で「ほぼ定期的」なのが理想だなぁ~って思ってるんですけどね。
9月5件、10月23件...。自然にそんななっちゃいます(´Д`;)
大概は即日更新ですが、翌日にズレ込むと、何を書こうとしたか思い出せません (;´Д`)?
自己満足だろうがなんだろうが、誰も読んでくれなかったら、三日と持ちません。
誰かが読んでくれてると思うから、続けられるんですよ。
恥さらしも、批判も大いにけっこう。構いません。
もっと醜悪なことして、生きてますから。
pinoさん、
「定期便」の分かりやすい小さな単位が「1日」だと思うんですよね。
それから「週」があり「半月」があり「月」があり、という感じでしょうか。
「週2回」などというタイトルもありました。
http://sug.blog2.fc2.com/blog-entry-320.html
どの期間であれ、「定期便」が続けやすいのはヒトが習慣で生きる習性があるからでしょうか。
ゆったりとしたペースで定期便できるひとは、ホントの自分のペースを知っておられてカッコイイなぁと思います。1日に4個も5個もエントリしたかと思うと、数日放置してしまうのは、多分、一番「長続きしない」タイプだと思います(私のことです)。
ともかく、ブログもやっているうちに、自分がやりやすい期間というのは、見つかりそうな気はします。
その前に、三日坊主なり○日坊主にさえならなければ。
出人さん、
ネットもねぇ、そこら辺と同じく、打たれ強いひとも居れば、弱いひとも居る。
でも、ネットの世界はオープンなので、そこに住み続けるのであれば、打たれ強いほうが生きていきやすいでしょうね。出人さんのようなタイプです。
ぁあ、考えがまとまりません。最近の、あれやこれやを見ていると、正しいことというのは沢山あるのだと今更ながら思い知らされます。
だから 自分の意見を書いて 批判してもらうのです。
自分だけが正しいなんて とても言えません。
もちろん 自分がいつも間違ってるなんて思ってもいませんけど。
教えようと思わず 学ぼうと覚えば 楽なのではないかなぁ。
楽だとか、そうでないとか、このブログ見てると、そう取れます?それとも一般論?(^^
私はネットマナーにしろウェブデザインにしろ一緒に学習したいと思っているのですが。
勿論、知識の多寡はあります。そういうものは流れが生じます。でも、正しいことがひとつではない限り、流れは一方向ではありません。教えるでもなく、教えていただくでもなく、一緒に。そしてそれぞれが何かを見つける。そこが面白いところじゃないでしょうか。
たまに答えがひとつしかなかったら楽だろうなぁという、そういう楽さを思うことはありますが。それはネットに限らず、ね。
で、出人さん、本格的にハンドル変更ですか?何だかレコードのB面(今となっては懐かしい)のような響きがありますね<出人B 隠れた名曲がありそう。
誰かのすべてを全部見てるわけではないので、なんとも言えませんが、
一面、不勉強な一部ユーザーの危なっかしさを、
見るに見かねているsugarさんの姿が浮かびました。
以前の記事の絡みからです。
そして、ついつい親切心から忠告して、
なんか、うるさがられているようにも感じられましたので。
でも、一般論っちゃ一般論ですよ(笑)
ハンドルはノリでBつけてます。
気まぐれなもんで~、なにかのきっかけで、戻すか、他のにするか。
うるさがれてますよ。お節介、なんでしょうね。ほんと、余計なお世話かもしれないんですけれど。だから[老婆心]ってつけてるじゃないですか(^^;
そのときのスタンスのことです。
そのうるさがられてるのを目の当たりにしたわけではないので、
sugarさんの姿勢を批判してるということではなくて、
一般論っちゃ一般論なんですけど。