--年--月--日(--)
新しい記事を書く事で広告が消せます。
- #
- カテゴリ:スポンサー広告
プライベートモードで閲覧中です。
ほろ苦い夢のかけらのおすそわけ
2005年06月28日(火) コメント:6 トラックバック:0
>基礎しかならわない人間よりも、むしろある程度学習した者のほうが、基礎の大切さを自覚する
子どもだから子ども向けのものを与えておけばよいものではないということからも。
ただ、音楽や絵画のような感性にうったえるものと、ITはまた異なると私は考える。ネットは感性を麻痺させる側面もある。いや、別に、毒だと言っているのではない、毒の部分もあるというだけだ(音楽や絵画にもあるがーとんでもない毒を内包しているものも少なくないー、インターネットでのやりとりなどは、まさに、直接的な毒であったりする。かりにイントラネット内であったとしても、独特の毒が培養されないとは言い切れない)。大人が勝手に難しいからと身勝手な判断で取り上げてしまうのは、子どもたちにとってはとっても残念なことである。
同じようなことが起きないと、どうして断言できるだろうか。まして今回はハード・ソフトの導入という、大きな初期投資を必要とする(公立の小中学校におけるパソコンの普及率は100%だそうだが、タイムシェアリングするとしても、充分に行き渡るのか。また、校内LANの普及率については調べたが分からなかった)。人材配置を充分に行わないで、予算だけつかって、ゆとり教育の二の舞のようなことは避けるべきだ。その予算があるのなら、それこそ教育人材育成や、別のこと(具体的にはここでは書かないが)につかっていただきたいと思うものである。現場の先生方が拡大解釈されたように思うのですが、先生が「教える」から「サポートする」に変わってしまったことがひとつあると思います。「新しい学力観のもとでは、教えるのではなく、児童が本来持っているものを引き出す、つまりサポートをするのが教師の役割だ」というふうに。それで先生方が授業の形態をかなり変えてしまったのですね。しかし、生徒から引き出すといっても、ハッキリ言うと生徒にはまだ何もないんですよね。与えていないのに引き出そうとしても、それは無理。
先生は自分が教わったようには教育できるんですけど、総合学習って自分は教わってないでしょ。どうやっていいのかわからないんですよ。先生方の間ではかなり混乱があったようです。
「塾に通わせられる家庭とそうでない家庭の子どもの学力差は開く一方」ここでも格差が出てくる。公教育で基本的なところはできるだけ押さえさせたい。教育者なら誰もが持つ理想であり、それが実現できないジレンマもまた感じているだろう。ITでも同じ。パソコンを自由に使いこなせるひとと、そうでないひとの格差があげられていたが、これからの時代、誰もがその恩恵を受けられる基本的な知識と技術を学校教育で養うことが、やはり求められているのだろう。「知識詰め込み型教育か、能力開発型教育か」みたいな議論になりがちですが、知識もあって能力も付けるということなんです。“or”じゃなくて“and”なんですよ。学習時間は増やしていいと思う。増やして学校で一定のところまでもっていかなかったら、塾に通わせられる家庭とそうでない家庭の子どもの学力差は開く一方です。そういう意味でも、ある程度の授業時間を確保して、学校が学力を保証する場であってほしい。そして子どもが自立して生きていける資質、能力を育てられる教育になればいいですね。
この提言の前段落に、ブログやSNSについての評価と可能性について論じられた部分があるが、どこを探しても、たしかに「すべての子どもにブログを」とはないのである。社会的・文化的要素が今後のICTの社会的な浸透を妨げる可能性がある。例えば、日本のネット利用者には、ICTの利活用に対する忌避感とでも言うべき茫漠とした不信感がある。
また、PC等を使った高度なICTについては利用格差が生じており、その原因が教育水準に関係しているとの指摘もある。
従って、ICTによる活性化を図るためには「社会全体のICTリテラシー」をどのように底上げしていくのか真剣に考える必要がある。
また、P2Pやブログの利用者増加により、ISP事業者がバックボーン回線の増強等ネットワーク管理に苦慮するといった問題が表面化している。ネットワークは未だに集中管理的な運用がなされており、今後そのような矛盾が拡大すれば危機的な状況を招く可能性もある。
以上の点を踏まえ、ICTを利活用して個人と個人が信頼感にもとづく社会的ネットワークを発展させ、活力と温もりある社会を形成するために、
1ICT利用主体のリテラシー向上や社会全体のICT受容力強化といったICTの利活用に関する社会文化的な環境の整備と、
2ICTを最も効率的に活用できる自律分散型ネットワーク基盤の先導的整備、更には
3こういった社会的経済的インフラにふさわしい新しいビジネスモデルの展開、
が一体的に推進されることを期待し、以下のとおり提言することとしたい。
(まぁ待て、ブログを借りる前にここを読め。「子どもにブログを与える前に、まずやるべきことが。」より)仮に私が学校でブログの利用を推進するとすれば、例えば、「みんなでブログで意見を出し合って学校をよりよく運営していこう!」というコンセプトを最初に打ちたてます。次に、校内だけで使える(見れる)ブログを作って、簡単な校内ブログのポータルサイトを作ります。各ブログはすべて実名で運用され、きちんと教師が各ブログの内容を把握して生徒を指導します。
んで、トラックバックセンターを作って、そこで「運動会の企画をみんなで考えよう!」とか「学校でできるリサイクルってないかな?」とか、そんな感じでトラックバックテーマを設定して生徒に記事を書かせて、意見をたくさん吸い上げていきます。こうすれば、生徒のITスキルを伸長させるうえでも、自主性を発揮させるうえでも、学校の民主的な運営を促すうえでも、いろいろメリットがあるかもしれません。
<<【テンプレートフリークス】テンプレートの選択画面が | 【私家版・はじめてのFC2ブログカスタマイズ】#3>>
http://bittersweetdreams.blog9.fc2.com/tb.php/204-99f73370
iPhone 転載 スパム Mac バックアップ 管理画面 善意 パーマネントリンク 時計じかけのオレンジ 書道 方言変換 ルー語 ベータテスター 大柴ルー チョコフレーク モアイまわし 管理者ページ 新サービス 携帯 拍手 ブックマークレット カスタマイズ odai 占い 漫画 ぶらぼー blog9 blog82 転載機能 アドセンス アルキカタ 意外性 perl 北海道 処分 整理 ジャンク 文庫 softbank MacBook 資源 リサイクル 跡部景吾 アクセス解析 テニスの王子様 カーナビーツ グループサウンズ アイ高野 Vista Shtodown キャリーオーバー 宝くじ toto 菓子 ソフトドリンク 半熟 デスノート 6億 Leopard Opera JavaScript FC2ブログ Apple Day これはうまい
上部の説明
下部の説明
コメント(-6件)
たとえば、その「ブログのトラックバックで運動会の企画を考える」ってことが、中学校まで待たないとできないことなのか、って思わなくもないのです。小学校5〜6年生でも別にいいじゃんって。
ま、そこは「中学」ってなら、それだって、別に構わないのですが。で、ブログで運動会の企画を提案するときに、「ネットで検索して他校のおもしろい企画をさがす」とか、「運動会における事故」の例を調べてくるとか、そういう手法だって、教えないとできませんよね。もちろん、日本語入力の手順や入力時間だって、今のわれわれのようなスピードで、考えながら入力して文章を作り上げるって、それなりの熟練がいる(笑)
そういうための「環境整備」に、なにが入っているのかしらないけれど、もしその中にハード的な整備だけでなくて、「指導者の育成(先生の研修)」も含まれているのであれば、それより先にやることがある……などと先送りしていたら、ハードの整備も、人材育成も先送りされてしまいかねませんよね。
あと、「実名での運用」ってところが、ま、わたしには少しひっかかるのだけれど、わたしは「責任ある匿名性」ってのを主張したいです。実名であるとリアルの力や人脈がものいってしまうことがありますよね。たとえばジャイアンがいうのだから、ほんとは違うって思っても賛成するとか……。のび太の意見が正しいと思っても、のび太だからダメって。リアルを隠して二人の意見について、話し合って、のび太の意見が採用されていく……。そういうのが理想だと思うんですけどね。
ま、あくまで、一つの意見ってことで。
「自殺サイトなどインターネットの有害な部分を駆逐する」と考えられているようです。
実名の運用にかんしては、出人さんの意見に同意します。
ネットというのは顔が見えないということで、悪い部分が強調されていますが、見えない良い点というのもあるわけで。年齢、職業、その他実社会でのバックボーンなしに発言(もちろん発言内容に表れてくることもありますが)できる、唯一の場所を、「実名運用が是、匿名は否」とされることで失われてしまうのは非常に残念です。提言では、出人さんのいう「責任のある匿名」での発言を否定するものではありませんが、実名が優位に評価されるのは、体験的に予測できます。
運動会云々にかんしては、私も、小学校高学年でもできることではあるとは思いますけれどね。アナログツールの使い方も覚えてほしいため、敢えて、「中学から」と言っておきます。
初等教育はあいうえおから文字を手で書いて、読み書きを覚えて、辞書を引いて、図書館で本を繰って調べて、というアナログで良いと思う。今の時代だからITツールしか使えないというのではなく、そういう昔からのツールもちゃんと使えるようになってほしい。コピーペーストは簡単だけど、手でまとめながら書き写すのは大変だってことも知ってもいいんじゃないか(お金払って図書館コピーサービス使うかもしれないけれど)。やっちゃいけないというのではなく、それ以上やる時間がないんじゃないの?ってことです。ITの授業1時間やるくらいなら、学級会活動や、自然観察の時間、体育の時間、音楽や図工の時間が増えた方がいいと思っています。
コンピュータにさわりはじめたのが、大学にはいってからの身としては、ITなんぞ練習するひまがあったら、山ほど本を読めよとおもったりするのですけど。
そんな、2、3年ごとにGUIがかわっていく世界で奨学生のときに覚えた知識がどこまでつかえるか分からないのだし。
やるのだったら、ITでなくて、情報リテラシーのほうが必要でしょ。世の中には、嘘があるし、嘘がなくても編集によって、全然別の印象をあたえることができる、ってことはたたき込んでおいたほうがいいとおもうな。
そもそも情報教育というものは、IT機器の使用法よりもむしろ情報モラルを教える必要性が出てきたから生まれたものと思っています。
パソコンの使い方などどうとでも勉強できますが、情報モラルというのは一種の道徳ですから学校以外では勉強しにくい。
子供たちにブログを持たせようという考えは、けしてブログの作り方を教えるものではなく、匿名で情報発信をするに必要な情報倫理や、その利点・欠点について考えて貰う一つの手法であると捕らえたほうがいいでしょう。
ブログではありませんが高校の情報では似た手法を使うことも多いですし。
しかし私は初等教育から情報発信をさせるのは早すぎるのでは、と思っています。
初等教育ではIT機器の簡単な利用法について教えるにとどめ、情報モラルについて学び、それから実際に情報発信をするという手順を踏むべきです。
問題を整理してくださったような。
>初等教育ではIT機器の簡単な利用法について教え、そのあと情報モラルについて学び、それから実際に情報発信をするという手順をちゃんと踏むべきです。
さんせー。(すみません、安易で。)
後でもう一度まとめたいと思います(^^;
そういや、世の中には情報などという教科ができておりましたですね。